「上の白目が見えるから、甲状腺眼症でしょうか」。上眼瞼後退を見たとき、甲状腺眼症は確かに大切な鑑別です。しかし、眼瞼そのものが引き上がっているのか、眼球が突出しているのか、反対側の下垂に対する開瞼努力なのかで、その後の検査は変わります。
本記事では上眼瞼後退に絞り、測定、随伴所見、反対側の眼瞼の順に原因を整理します。見た目の高さと、視神経・角膜への危険度は分けて評価します。
まず、上眼瞼後退とlid lagを分ける
上眼瞼後退(upper eyelid retraction)は、正面視で上眼瞼縁が通常より高い位置にある状態です。上方の強膜露出は手掛かりになりますが、もともとの眼瞼形態、眼球位置、注視方向の影響も受けます。
Lid lagは、視線を下へ動かしたときに上眼瞼が眼球の動きに追従しにくいという動的な所見です。静的な後退と併存しますが、同義ではありません。また、眼球突出は眼球が前方へ偏位する所見で、後退とは別に測定します。Bartley 1996、Cruzら 2013
MRD1を測る:光反射から上眼瞼縁まで
患者に正面の光源を固視してもらい、眉と前頭筋の力をできるだけ抜いてもらいます。MRD1(margin reflex distance 1)は、角膜光反射の中心から上眼瞼縁中央までの垂直距離です。両眼を同じ条件でmm単位で記録します。瞳孔の上縁から測る値でも、瞼裂高でもありません。Lattingら 2017
数値に加えて、上眼瞼の外側が高くなる輪郭、上方強膜露出、眉の挙上、挙筋機能、閉瞼不全を記録します。眼球突出計による値と眼球の上下・左右偏位も別項目で確認し、過去の写真があれば比較します。
MRD1の単一の境界値だけで、甲状腺眼症や病的後退と診断することはできません。EUGOGOの重症度分類にある「眼瞼後退2 mm以上」は、通常位置からの後退量についての記載であり、「MRD1が2 mm以上なら中等症以上」という意味ではありません。後退量だけで重症度は決めず、他の眼所見と日常生活への影響を合わせて分類します。EUGOGO 2021

図1:左はMRD1の測定位置、右は対側下垂による偽性後退の確認手順。Heringテストで持ち上げるのは下垂側です。反対側の下降は診断を支持する所見であり、反応がない場合にも単独では除外できません。図は手順の模式図で、正常値の尺度や患者画像ではありません。
診察は「発症・変動」と「視機能」から始める
いつから、片側か両側か、進行しているかを確認します。複視、眼痛、乾燥感、羞明、視力・色の見え方の変化、頭痛や神経症状を聞きます。甲状腺疾患、眼瞼・眼窩・斜視手術、外傷、過去の動眼神経麻痺、放射線治療、使用薬も病歴に含めます。
眼科診察では視力、色覚、瞳孔反応・相対的求心路瞳孔障害(RAPD)、必要に応じた定量視野を確認します。眼球運動、複視の方向、眼球突出、結膜充血・浮腫、角膜染色と閉瞼状態を評価します。眼底も診察しますが、視神経乳頭が正常に見えても、眼窩尖端での圧迫性視神経症は否定できません。 両眼対称性の視神経障害では、RAPDが目立たないこともあります。ATA/ETA 2022
| 所見の組合せ | 次に考える評価 |
|---|---|
| 後退+眼球突出、眼窩炎症、拘束性の眼球運動障害 | 甲状腺機能・自己抗体、甲状腺眼症の活動性と重症度、必要な眼窩画像 |
| 後退+上方注視障害、瞳孔の対光近見解離、輻輳後退性眼球運動 | 背側中脳病変を想定した神経診察と脳画像 |
| 一側の高い眼瞼+対側の下垂 | 下垂の原因評価とHeringテスト |
| 内転・下転で眼瞼が挙がる+過去の動眼神経障害 | 動眼神経異常再生と、原因・既往画像の再確認 |
| 手術・外傷後、局所の硬さや牽引がある | 瘢痕、挙筋の過矯正、眼窩・眼瞼の機械的要因 |
これらは排他的な分類ではありません。甲状腺眼症とMGなど、複数の病態が重なる場合も考えます。Bartley 1996
甲状腺眼症:機能正常でも除外しない
甲状腺眼症の上眼瞼後退には、挙筋・Müller筋周囲の炎症や線維化、外眼筋の拘束に伴う開瞼への神経性入力、眼球突出など複数の要因が関わります。持続する後退を「交感神経が緊張しているだけ」「ストレスのため」と説明して終えないことが大切です。Cruzら 2013
TSH、遊離T4を基本に、状況に応じて遊離T3、TSH受容体抗体(TRAb)・甲状腺刺激抗体(TSAb)などを調べます。甲状腺機能正常や抗体陰性だけでは、臨床的に疑わしい眼症を一律に除外できません。片側優位・著明な左右差、強い痛み、非典型的な眼球運動障害、甲状腺所見に乏しい症例では、眼窩MRI/CTで他の眼窩疾患も含めて評価します。ATA/ETA 2022
活動性と重症度は別に判定します。 活動性の評価にはCAS(Clinical Activity Score)などを用いますが、CASは視神経症や角膜障害の有無を判定する重症度指標ではありません。 疼痛、充血、腫脹などの炎症活動性と、複視、突出、角膜露出、視神経障害による機能への影響を分けます。赤みが少なくても視機能障害があれば軽症とは扱いません。甲状腺眼症性視神経症や角膜破綻は、視力を脅かす状態として緊急対応の対象です。EUGOGO 2021
Collier徴候:上方注視と瞳孔を必ず見る
背側中脳症候群(Parinaud症候群)では、上眼瞼後退をCollier徴候として認めることがあります。上方注視障害、上方注視を試みた際に眼球が内転しつつ後退する動き、瞳孔の対光近見解離を探します。
この特徴的な眼球運動は「輻輳後退眼振」と呼ばれますが、通常の眼振とは機序が異なるため、ここでは輻輳後退性眼球運動と表記します。所見の組合せには幅があり、後退が片側優位でも、ほかの所見がすべてそろわなくても、背側中脳病変を否定できません。Yousifら 2021
新しい上方注視障害に急性頭痛、嘔吐、失調、意識変容などが伴えば、脳血管障害、水頭症、占拠性病変などを考えて救急評価へつなぎます。安定していても原因不明の所見なら、神経診察と脳MRIなどを手配します。「甲状腺採血が正常だったので経過観察」とはしません。
対側下垂による偽性後退:持ち上げる側を間違えない
一方の眼瞼が下がると、その眼を開こうとする神経性入力が両側の挙筋へ増え、反対側の眼瞼が高くなる場合があります。Heringの法則に関連する対側の偽性後退です。
- 正面固視で、両眼の眼瞼位置と眉の状態を記録します。
- 下垂している側の上眼瞼を、眼球を圧迫せず、角膜に触れないように正常位置まで静かに持ち上げます。
- 反対側の高く見える眼瞼が下がるかを観察します。
反対側が下がれば、対側下垂による代償性挙上を支持します。高くなっている側を持ち上げる検査ではありません。反応はすべての下垂例に現れるわけではなく、陰性だけでこの機序を否定したり、陽性だけで甲状腺眼症の併存を否定したりはできません。Kratky・Harvey 1992
手術前には、下垂の左右差が術後にどう変わり得るかを検討します。日内変動・疲労性・複視があれば、腱膜性下垂と決める前にMGなどを評価します。Lattingら 2017
眼球運動に伴う後退と、機械的な原因
動眼神経障害後の異常再生では、内転・下転に伴って上眼瞼が挙がることがあります。下方視に伴う挙上はpseudo-Graefe徴候と呼ばれ、甲状腺眼症のlid lagと区別します。過去の動脈瘤、外傷、圧迫性病変、動眼神経麻痺の経過を確認します。既往の障害で説明できない新しい異常再生所見では、画像による原因評価を相談します。Shuttleworthら 1998
咀嚼・開口と連動する先天性のMarcus Gunn jaw-winking現象も、誘発動作を観察すると分かりやすくなります。眼瞼下垂手術後の過矯正、外傷や炎症後の瘢痕、眼窩病変による眼球偏位などは、眼瞼と周囲組織の診察、手術歴、画像を組み合わせます。原因を神経性・筋性・機械性に分けつつ、見た目だけで一つに決めないことが実用的です。Bartley 1996
顔面神経麻痺では眼輪筋の機能低下により開瞼が大きく見えることがあり、閉瞼力、瞬目、角膜露出を確認します。甲状腺中毒症に伴う眼瞼位置の変化や交感神経作動薬の影響も考慮しますが、それだけで自己免疫性の甲状腺眼症と同一視しません。幼少時から安定している静的な後退は先天性の可能性もあり、写真と動的所見を合わせます。Bartley 1996
どこまで急ぐか、誰に相談するか
当日の緊急評価が必要なのは、視機能・角膜・神経所見に危険がある場合です。 視力・色覚・視野の悪化、角膜上皮欠損や菲薄化、急速な眼球突出、強い眼痛と結膜浮腫、拍動・血管雑音、新しい複数の脳神経症状、急性の背側中脳症候を認めたら、眼窩・角膜または救急・脳神経系の評価へつなぎます。ATA/ETA 2022、Yousifら 2021
視機能が保たれていても、新しく進行する後退、突出、複視は早めに眼窩・神経眼科で精査します。安定した術後瘢痕や機械的後退は眼形成へ相談します。閉瞼不全があれば原因精査と並行して潤滑などの角膜保護を始め、症状の軽さだけで経過を決めません。ATA/ETA 2022
甲状腺眼症の整容・機能再建を目的とした眼瞼手術は、原則として病勢が非活動性で甲状腺機能も安定した時期に検討します。眼窩減圧や斜視手術が必要なら、その影響を踏まえて順序を決めます。視神経症や角膜破綻への緊急治療とは分けて考えます。ATA/ETA 2022
診察室で持ち帰りたい3点
- MRD1、眼球突出、眼球偏位を別々に記録する。 上眼瞼後退とlid lagも区別します。
- 甲状腺機能正常でも、眼症と視神経障害は別途評価する。 上方注視障害や瞳孔所見があれば背側中脳にも目を向けます。
- 反対側の下垂を必ず見る。 Heringテストでは下垂側を持ち上げ、対側の変化を観察します。
参考文献・参考資料
- Bartley GB. The differential diagnosis and classification of eyelid retraction. Ophthalmology. 1996;103:168–176. doi:10.1016/S0161-6420(96)30744-6. 原典
- Cruz AAV, et al. Graves upper eyelid retraction. Surv Ophthalmol. 2013;58:63–76. doi:10.1016/j.survophthal.2012.02.007. 原典
- Latting MW, et al. Clinical Evaluation of Blepharoptosis: Distinguishing Age-Related Ptosis from Masquerade Conditions. Semin Plast Surg. 2017;31:5–16. PMID:28255284. 原典
- Bartalena L, et al. The 2021 European Group on Graves’ orbitopathy (EUGOGO) clinical practice guidelines for the medical management of Graves’ orbitopathy. Eur J Endocrinol. 2021;185:G43–G67. doi:10.1530/EJE-21-0479. 原典
- Burch HB, et al. Management of Thyroid Eye Disease: A Consensus Statement by the American Thyroid Association and the European Thyroid Association. Thyroid. 2022;32:1439–1470. doi:10.1089/thy.2022.0251. 原典
- Yousif JE, et al. Dorsal Midbrain Syndrome: Clinical and Imaging Features in 75 Cases. J Neuroophthalmol. 2021;41:e644–e654. doi:10.1097/WNO.0000000000001052. 原典
- Kratky V, Harvey JT. Tests for contralateral pseudoretraction in blepharoptosis. Ophthalmic Plast Reconstr Surg. 1992;8:22–25. doi:10.1097/00002341-199203000-00003. 原典
- Shuttleworth GN, et al. Patterns of III nerve synkinesis. Strabismus. 1998;6:181–190. doi:10.1076/stra.6.4.181.618. 原典
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